カフェでの読書が本当に捗るけどなぜ?

カフェで読書

あやしうこそ物狂ほしけれ

完全な無音空間よりも、多少の雑音があった方が人間は集中できるようである。

 

「集中できる音」と称して雨音であったり瀑布音であったりカフェの音であったりが用いられるのは、そういう理由らしい。

 

確かに「何も音がないところでは気が狂いそう」とおっしゃる方に出会ったことがあるが案の定その方はテレビを四六時中つけっぱなしであったため、私の方が気が狂いそうになった。

 

いいえ、あるいはすでに狂っているかも私。こうやってブログに文章を書くのって、「あやしうこそ物狂ほしけれ」と呼ばれる類の振る舞いですものね。

 

私たちは何に金銭を支払っているのか?

カフェに入ったとき、私たちは当然にお金を支払うけれども「何の対価として私は支払ったのか」をしばしば考える。サービスに不満があるのではなくて、純粋な思考の暇つぶしとして。

 

お会計は表面上「ブレンドコーヒー」とか「カフェラテ」とか「抹茶モカフラペチーノ」に対しての支払いということになっているけれども、「読書をする」とか「勉強をする」、「おしゃべりをする」といった付随する目的のある場合は、その分も含まれるのだと考えている。

 

飲食代だけではなく場所代、雰囲気代も支払っている心持ちである。

 

カフェでの読書と、雑多な喧騒の中での読書では、明らかに読書の質が違う。

 

読書の質を向上させるために金銭を支払うというのはとても贅沢をしているような気分になってとてもよい。

 

でも、あくまで表面上は飲食に対して支払いをしているという建前上、あまりにも長居するのは気が引ける。

 

時間制限と集中力

というわけで、カフェでの読書は心理的に時間制限がある。

 

時間制限があると人間ってがんばるというか、集中力が増すようで、「私が多数の著作を残すことができたのはひとえに締切のおかげである」旨の格言を誰かが言っていたような気がする。……言っていないような気もする。言っていなかったら私の格言ということにしよう。真偽は天のみぞ知る。

 

おっと。

 

ここで時間になったみたいです。

 

ブログ文章も時間制限がないといえばないのですけれど、適当に決めた時間で切り上げるのがいいですからね。

 

決してオチを思いつかなかったとか、書くのが飽きちゃったとか、そういうのじゃないので勘違いしないように。

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