校長先生の講話集がある

※テンプレ

何にでもマニュアルはある。

グーグルが発達した昨今、何かを始めようと思ったらとりあえず「ナントカカントカ やり方」で検索する人が多くなった。

私は最近筋力の衰えを感じているため、「スクワット やり方 できるだけ楽に むしろやらずに筋力強化 頼む」と検索してしまった(してしまってません)。

グーグル先生がいてよかったな、と重宝するのは敬語やメールの文章の使い方に悩んだときである。

ブログに載せる文章は好き勝手書いていても(あまり)デメリットはない。

ごくまれに「貴方の文章はこうした方がいいんじゃないか」とか「こういう感じの貴女の文章が読みたい」などと注文の多い意見を頂くこともあるが、丁重に黙殺させて頂いている。

いつもありがとうございます!

ブログのいいところは自由を作れる点であると自負し、それを毎日のびのび享受しているのであるから、まったく面の皮を厚くして有難く読ませていただいております。

いつもありがとうございます!!

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さて(自分勝手な話題転換!)、なにがきっかけか忘れてしまったけれど、ふとしたときにアマゾンドットコムで「校長先生の講話」と検索する機会に恵まれたのだよな。

それで、けっこう豊富なラインナップでテンプレート文章・使える時事ネタ集なんかが載った書籍が表示されるものだから、(校長先生でも定型文に頼るのだな)と不思議な気持ちになってしまった。

でも、校長先生も人の子なんですよね。

無難なスピーチでその場を乗り切りたいという方もいれば、あふれる個性を発揮して生徒が卒業してからも記憶の片隅に陣取りたいという方もいることだろう。

講話集は、前者のタイプにとって渡りに船で必要だし、後者のタイプにとっては避けるべき「記憶に残る価値のないフツーの意見」であるためタブー集として必要である。

文章も同じ。

私はせっかくブログを書くならできるだけ逸脱した、マイノリティな、(あまり)誰も言及しない、トロピカルな話題を、突拍子もないボキャブラリーでアップしたいと考えているけれども(できているかどうかはおいておいて、心意気の問題です)、そうじゃなくて、誰にも攻撃されないような意見をばかり書いてしまう人もしばしば観察されます。

「一度しかない人生、楽しんだもの勝ち!」的な手垢にまみれた表現を使いたくはないけれども、その文章を書いて楽しいのか、と思ってしまうことがあるけれども、別に私には関係ないしな、と、なんだか、学生のころ、ぼーっと校長先生の話をBGMに別のこと(可変型MSってなんでかっこいいんだろう、とか)ばかり考えていた頃を思い出しました。

体育館、寒かったな。