コンビニ店員不適切動画
コンビニの店員が売り物である「おでん」を楽しそうに口に含み吐きだした後に陳列棚のタバコを触るなどして踊るという動画を観た。
コンビニは即座に謝罪の文面を発表し、当該店員を解雇したと述べた。裁判に持ち込むつもりだという。
メディアやSNSでは元店員へ非難が集まっている。
- 「顔を出して動画を投稿するなんて罰されるのが目に見えているのに」
- 「非合理的だ」
- 「やってはいけないことの判断ができない人間だ」
これら紋切型の批判は事件の真相・裏側を予測・推理・理解するのに何も助けにならない。
メディアやSNSは感情の表出を助けるばかりで、真実を暴く思考の補助線にはならない。
元店員はなぜ、おでんを口に含み踊った動画をSNSに投稿したのか。
事件を紐解くキーワードは「コスパ」であると私は思う。
どうして「顔出し動画」をインターネットに投稿するのか
「バカ」をやる「若者」は、どうして「自殺行為」をインターネットに無防備に流してしまうのか?
そもそも若者は「バカ」をやるものである。
それは古今東西ピラミッド、あるいは石器時代から変わらない。
ひと昔だったらどこか「リアル」な場所(壁に落書きとか道路で暴走とか)で発散していたのが、今はインターネット(SNS)で「バカをやる」時代になった。
Youtubeやインスタグラム、Twitterには「バカをやる」動画があふれている。
インターネットある今、昔と大きく違うのは「事件の大きくなりやすさ」と「証拠の残りやすさ」である。
インターネットはクリックあるいはタップなど、画面をシュッとやっただけで物事を拡散することができる。拡散は拡散を呼び、ささいなことでもあっという間に1万人程度にはすぐ広がる。
これは「バカをやる」行動とそれがもたらす結果について「コスパがいい」。
最小限の努力で最大限の効果を得られる行動である。
件のコンビニ店員は、たった15秒の動画を投稿しただけで日本中の話題になることができた。
どんなに広告費をかけても達することが難しい「日本中の話題になる」ことが「バカをやっただけ」で達成できるということは、コンビニ店員が顔を出してまでバカをやる対価と価値が釣り合うどころか、かなり「オツリ」がくる(なお、不良行為を顔を隠さず行うことも拡散速度上昇に寄与する)。
店員は「顔を出す」「バカをやる」「流行りの芸人の動きをトレースする」という最小限のポイントをおさえることで「日本中の話題になる」ことを最小の努力で実現した。
さらに、動画をインターネットにアップロードすることは「証拠が残る」ことである。
たとえ元動画がどこかからの訴えにより消されたとしても、必ず誰かしら・どこかしらに動画データは残る。
動画データが残り続ける限り、同じような事件が起きるたびに当該動画は「以前こんな事件もありましたね……」と繰り返し引用される。
同種の事件があった場合、件のコンビニ店員は新規の労働を投入していないにも関わらず動画は引用され再度話題になりうる。
これも「コスパが高い」。
どうして訴えられるリスクを冒してまで「バカをやる」のか
「コスパ」は現代に蔓延する重要な行動指標である。
それがわからない人が「店舗での教育力が試されている」という的はずれなコメントを残す。
「不適切動画は経営を揺るがすほどの衝撃を与えるからやってはいけないよ」はコスパ観が骨の髄まで染み渡った人間には通用しない。
その言葉を素直にとらえると、「自分への評価の失墜」と「大企業の株価暴落」を彼の天秤にかける。もちろん後者の皿が下がる。そこで彼は「コスパがよい」と判断する。
「不適切動画は経営を揺るがすほどの衝撃を与える」から、彼らは「やる」のである。
「不適切動画は経営を揺るがすほどの衝撃を与えるからやってはいけないよ」と教育したいのであれば、「企業が傾くことに釣り合うだけの罰」を提示しなければ彼らの抑止力にならない。
そんな罰を用意することができるだろうか?