「若者よ本を読め」
「え、一ヶ月に一冊も読んでないの? やばいよ。読みなよ。」
「読書をすれば家に居ながらにして世界が広がるよ。読んだら?」
このような言説はわりと多い。
でも、私はこれを言われて読む気にはならない。
天性が天邪鬼ということもあるが、誰かに何かを強制されてやることには裏を感じずにはいられない。
就活サイトは、必ず兼業的に婚活サイトも経営している。
「あなたにはどこかに運命の仕事があるはずだ」と刷り込まれて就職した人は、「あなたにはどこかに運命の相手がいるはずだ」を簡単に飲み込んでしまう。空想なのに。そんなわけないのに。
「運命の相手」と結婚する人よりも「運命の相手ではない人」と結婚できる人の方が人間的に成熟している、と私は考えていますが、この話は本筋ではないのでまた今度。
でで、誰かがあなたに「これをやらないと損だよ」と言ってくるとき、彼らがほんとうに、純粋に、あなたの利益だけを考えて発言していることは、ほぼない。断言できる。
「本を読もう」という出版社は自社の本を買ってほしい。
「本を読め」という年長者はそれらしいことを言って尊敬を得たい。
「本を読んだら?」という同輩は見下したい。
こんなひねくれたことを考えているので、私は誰かに「本を読め」なんて絶対に言わない。もう読めなんて言わない。もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対。昔はうっかり言ってしまったときもあるけれど、反省している。後悔はしていない。
本記事のタイトルは「本をちゃんと読んでいる人は本を読めなんて言わない」なので、言わないことによって自分自身のことを「本をちゃんと読んでいる人」にちゃっかりカテゴライズしているのでは?と思ったけれども、これが陥穽ってやつだな。
策士策に溺れる。
自画自賛ほど醜いものはないけれども、言い訳をすればするほど墓穴を掘りそうでやめることにする。
こういうとき、少女マンガであったら「うるせえ!」と唇で唇をふさいでハッピーエンドであるが、ブログなのでそうもいかないんだよなあ。とほほ……