完璧な絶望としりとりにおけるフィットチーネ

完璧な絶望と しりとりにおける フィットチーネ

開会宣言

今回より、しりとり形式で書くコラムを創設した。

 

最初のワードはしりとりらしく「しりとり」から始めようと思う。

 

この先、しりとり→りんご→ゴリラ→ラッパ→パラッパラッパー→パイナップル→ルッコラ→……などとお題をつなげて書いていくことにする。

 

どうしてこんなことをやろうと思ったのかというと、『小田嶋隆のコラム道』にしりとり形式のコラム連載について書いてあったからです。

 

書物にすぐ影響を受ける人間です私は。

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お題:しりとり

 

しりとりを子どものことろはまじめにやっていたが、大きくなってからはそれほどまじめにやらなくなった。

 

大人になるにつれ不誠実になったせいもある。

例を挙げると、

 

「パイナップル」

「ルボア」

「ルボアってなに?」

「西アフリカの伝統行事。三日三晩踊るやつ」

「へー、じゃ、アップル」

「ルオトル」

「ルオトル、ってなによ」

「ロートルのネイティブ発音」

「そりゃないぜ」

 

あるいは、

 

「しりとりやろうぜ」

「いいよ。うどん」

「即刻落としたな」

 

のようなことをしてしまう。

 

でも、それよりも、しりとりはゲームの参加者それぞれのボキャブラリーというか知識というか、あるいはバックグラウンドみたいなのが平準化・共有化されていない限りにおいては、フェアーな遊びではないのでは、と考えるようになったからである。

 

将棋が大好きで将棋を中心に世界を見ている人と、食べることが大好きでグルメを中心に欲望をコントロールしている人と、ファッションが大好きで服飾を中心に物事を考えている人は同じ土俵でしりとりをすることができない。

 

「じゃ、中飛車」

「や? 焼魚定食」

「く? クロップドパンツ」

「つ? 継ぎ歩」

「ふ? フィットチーネ」

「ね? ネオプレン」

 

こんなしりとりは地獄だ。

 

原理的には、完璧な絶望が存在しないように、完璧に同じ土俵においてしりとりゲームを実施することは不可能である。

 

特に有用な知見はこのコラムで示せていけないだろうけれども、しりとりと同じ、ひまつぶしのコラムにしていけたらと思います。

 

この世に完璧な文章は存在しないので。

 

次回

次回のしりとりコラムは「リンゴォ」です。

では、左様なら。