素顔に迫ってどうする

素顔に迫ってどうする

作家に「~さん」を付ける人がいる。

私は作家に「~先生」と付けて呼ぶこともあるので敬称をつけること自体は否定しないがそれにしたって「~さん」はないだろう、と思う。

近所のおっちゃんの作品を読むわけではない。

「夏目漱石」と「夏目漱石先生」と「夏目漱石さん」では作品に対する向き合い方が違うだろう、と強く思う。

私的な感想を述べる。

「呼び捨て」は、作品と向き合うことを呼称がさまたげないと私は思っている。

「先生付け」は皮肉なのかほんとうに尊敬しているか、一見判断しかねるが、いずれも興味研究対象としての作品、という姿勢が感じられるからよい。

でも「さん付け」はだめだ。

お知り合いのご小説を読んでいるのですか、と腰砕けになっちゃう。

作家に親近感を感じちゃったら素直にフィクションを楽しめないのでは、と危惧するところであるよ。

そうそう。アイドルなどもそうだ。

ドキュメンタリー動画などで「~~ちゃんの素顔に迫る!!」などと見つけてしまったあかつきには「やめてくれ!」と叫びたくなる。

好きな偶像には「(創られた)君が好きだ!」と叫びたいのに、創られていない素顔を見てしまったら、どうする。げんなりしちゃうだろ。

仮に彼女の「素顔」を見せつけられて、それでもなお魅せられたままだとしたら、その「素顔」もたぶん創られた「素顔」であるので、うれしいんだかうれしくないんだか微妙な気持ちになる。

酔ってるときは、酔ってるままでいさせてほしい。

どうか、素顔なんて見せないでほしい。